礼典(儀式)
大切にしている2つの事
バプテスマ(洗礼)
聖書には、イエスの弟子が行う儀式として2つの事が定められています。それはバプテスマ(洗礼)とパン裂き礼拝(聖餐式)です。
イエスは言われました。
「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章18~20節)
この記事はイエスが復活された後に弟子たちに命じられた言葉です。イエスは弟子たちに全世界の人をイエスの弟子とすることを命じられました。全ての人がイエスを自分の救い主として信じてバプテスマを受け、弟子となる事をイエスは望まれておられます。
バプテスマは救われるための儀式ではなくて、イエスを信じて救われた者が弟子として歩む第一歩です。わたしたちはイエスのご命令通り、信じた者にバプテスマを授け、共に弟子として歩んでいます。
パン裂き礼拝(聖餐式)
イエスの弟子が行う儀式として2つ目のものはパン裂き礼拝(聖餐式)です。バプテスマは弟子となる者が受ける一度限りの事ですが、パンを裂いてイエスを覚える礼拝は定期的に繰り返し行うものです。
イエスはパンを取りそれを裂いて言われました。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
食事の後、同じように杯を取って言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」(コリント人への手紙第一11章24~25節)
イエスは人のからだをもってこの地上に来られました。それは死ぬことのできない神の子が死ぬためです。私達人間の罪の代価として苦しみを受けて死ぬことができるように、神の子は人のからだをもってきてくださいました。罪のない神の子イエスが私達の罪の為に十字架に架かられて、そこで流されたイエスの血によって私たちの罪は完全に赦されたのです。
わたしたちは、バプテスマを受けた者を対象として、イエスのからだをあらわすパンと血をあらわす杯にあずかり、イエスの死と復活を覚えて賛美と感謝をささげています。